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1974年北海道生まれ。フリーイラストレーター。
時代小説等の文芸書籍の装幀画・挿絵を手掛ける仕事を中心に活動。
2003年MAYA装画コンペ大矢真哉子賞。
これまで取材したプロ

机は自分を発信し外につながる場所です。

水彩絵具は乾燥してからも水溶性を保つので、加工もできる画材といわれています。着彩したところを水で洗い、そこに加筆すると味のある表現ができます。宇野信哉さんは、独学で水彩技法をマスターし、自然にウォッシングを身に付け、深めてこられた方です。笑顔で宇野ワールドを案内していただきました。

・お子さんの頃のことから。
宇野「北海道の網走の近くで育ちました。祖父が油絵を描いていたということもあって、絵を描くのが好きでした。絵といっても漫画のようなものでしたが」
・漫画をずっと?
宇野「そうですね、漫画家になれるといいなあと思っていたことは確かです。ひたすら描き続け、時々投稿までしていましたから」
・どの辺でイラストに?
宇野「高校の頃、手塚治虫のドキュメンタリーをたまたまテレビで見て、漫画家になるには相当の覚悟が必要ということを知りました。それからイラストの道を考えるようになりました」
・それで専門の道に?
宇野「札幌にあるデザインの専門学校に進みました。そこではグラフィックを中心に学び、イラストを専攻しました。当時はアクリル絵具を使って、現代的なポップな作品を制作していましたね」
・卒業後は?
宇野「グラフィックデザインの会社に就職しましたが、チラシやポスター、パンフレットなど何でもやりました。イラストを描く仕事もやりましたよ。4年ほどその会社で仕事をしていましたが、東京に行けばもっとイラストの仕事ができるというアドバイスを信じて上京しました」
・それでイラストレーターに?
宇野「いえ、そんなに甘いものではありませんでした。仕方なくデザイン会社に再就職し、仕事をしながら出版社などにイラストの売り込みを続けました。転機はちょうどデジタルの表現がもてはやされ始めたころで、独立してデジタル作品を盛んに制作しました」
・水彩とはいつ?
宇野「デジタルの仕事は徐々になくなっていきました。そんなとき一番好きなジャンルでやってみたらというアドバイスをもらいました。自分が好きだったのは時代ものを描くことでした。和紙に光を当てたときぼんやりと形が浮かび上がるあの雰囲気に憧れていたのですが、それに一番近かったのが水彩でした」
・ウォッシングなどの技法は?
宇野「水彩は修正が効かない、それを乗り越えたいと試行錯誤していて、たとえば水で溶けるなら洗えばいいかとやってみたら、意外に良い表現が得られ修得していきました」
・これからの夢を。
宇野「時代物にこだわっているわけではないので、現代ものの仕事もしたいですね」
・ありがとうございました。

 

「筆は面相筆を中心に使っています。紙はワトソンのホワイトとナチュラルです。印象に残る仕事といえば山本周五郎は元々好きでしたから、26巻の装訂の仕事は本当にうれしかったです」

「長町武家屋敷」
「尾山神社神門」