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1936年東京生れ。東京在住。学習院大学政治学科卒業。アニメーター、イラストレーターを経て、1978年ニューヨーク・ソーホーに。世界各地を旅して幅広いテーマで活動。
これまで取材したプロ

机は仕上げるためだけの場所です。

 ペンは線画の道具です。線を使って形のみならず気持ちや精神までも表現できます。線をメインとし着彩をサブとして描く世界は淡彩などとは全く異なる雰囲気になります。線の魔術師ともいえる大ベテランの永沢まことさんはダイナミックでありながら味わいのある作風を完成させた方です。そして永沢さんの人生もまたダイナミックでした。

・絵の世界へのきっかけは?
永沢「小さい頃からマンガを描くのが好きでした。高校3年の時にスポーツ雑誌にルポマンガを投稿したものが社長の目に留まり、会社に来るようにとの連絡をもらいました。そこから私の絵の仕事が始まりました」
・そこではどんな仕事?
永沢「当時、全盛だった力道山のプロレスをルポマンガにすることでした。その他に一コママンガや小説の挿絵を描かせてもらいました」
そのまま美大へ?
永沢「いえ、油絵とかよりもマンガが面白くなり、それなら普通大学でもできるということで美大へは行きませんでした。大学に入ってもプロレスルポなどを継続していました」
・卒業後は?
永沢「東映動画ができるというニュースを新聞で見て、一度自分の作品を見せに行ったことから、正式に募集の声がかかり試験を受けました。狭き門をくぐり抜け採用され、「白蛇伝」、「西遊記」などのアニメーターを8年やりました。その後独立し、池袋にスタジオを設立し演出や脚本を手がけました」
・イラストの世界へは?
永沢「このままではいけない、と思うようになり、39歳のときアメリカに渡り、ロスを振り出しにニューヨークにたどり着きました。生活のために似顔絵を描きながら、日常的な風景をスケッチしていました。この時に出会った後に妻となる女性との共著、『ニューヨーク人間図鑑』が日本で刊行されました。これが本格的なイラストレーターの始まりでしたね」
・どんな技法を?
永沢「日本に帰国して、ニューヨークを題材にした壁画の仕事や展覧会を活発に行いました。その時まで、スケッチが仕事になるとは思ってもいませんでした。ピグマペンのような耐水性のペンによる現場スケッチが基本です」
・線がベースなのですね?
永沢「そうです。たとえば一本の木を線で描こうとしたら、その木を穴があくほど見つめなければならないでしょう。自然に観察眼が鍛えられます。モノを見る眼が良くなれば線が生き生きとしてきます。そうして描いた線描を家に持ち帰り、机に広げ新しい気分で色を塗るのです。これがまた楽しい。透明水彩絵具が中心ですが、時によりアクリル、パステルも使います」
・これからは?
永沢「もう始めていますが都市を描きたいですね。都市は全てが集約されています。単なる風景ではなく動いている人間がいる身近な風景です」
・ありがとうございました。

 

*編集部より*
永沢まことさんのブログがあります。ご覧ください。
http://makoart.exblog.jp/


「都市は人間と文化が集約されています。動く人物を入れて描いている画家は少ないですが、生きている都市に目を向けて描き、風景画ではなく都市画を確立したいです」
「吉祥寺万華鏡」
 
「マロニエホテルの朝食」
 
「NY中央駅待合室にて」