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1952年東京都生まれ。1976年武蔵野美術大学油絵学科卒業。1994年日本水彩展初出品不破賞受賞。以降内閣総理大臣賞など。個展定期開催。著作多数。醍醐水彩教室主宰。
これまで取材したプロ

机は使い古すたびに新たな味が出る。

 透明水彩の素晴らしさは、写真では表現できない発色と紙との美しい融合にあります。透明水彩を操るには、基礎力と表現力が不可欠。筆を思うように動かすにはかなりの練習が必要です。醍醐芳晴さんは、数々の表現体験の末たどり着いた大ベテランです。モデルの魅力を最大限に引き出す熟練の技には脱帽です。気さくな中にも真摯なアーチストとしての顔を見せていただきました。

・子どもの頃は?
醍醐「絵は好きでしたが、活発ではありませんでした。なぜか小学校の低学年の記憶がありません。自宅は畳の生活でしたが幼稚園はフローリングで、どこか違和感を感じていたのは覚えています」
・外での遊びは?
醍醐「外に出るのが好きではなく、家で過ごすことが多かったです。小学校高学年では、マンガが大好きで虫プロに入れたらいいなあ、と思っていたほどです」
・運動はほとんどしなかった?
醍醐「いえ、中学と高校の3年間はバレー部です。運動が不得意なのに、なぜかチャレンジしてしまうところがあり、高校でも本当は文系なのに理系にいたり、美術が好きなのに美術部に入らなかったり、できないことにチャレンジする性格でした」
・美術へのきっかけは?
醍醐「普通大学を目指していましたが、病気のため突発的に美術を目指し、一浪して美大へ。ほとんど独学でした。大学では油彩画を専攻。授業は写実が中心でした」
・卒業後は?
醍醐「画家というよりは漫画家を意識していました。何となくですが、漫画家になろうかと。いろいろアルバイトした後、テレビCMの絵コンテの仕事を7年ほどやりました」
・透明水彩への道は?
醍醐「その後フリーとして独立。絵コンテはマーカーやカラーインクで写実的に描くのが仕事。それは水彩画に近いものがありました。アメリカの水彩画家アンドリュー・ワイエスに触発され、水彩にシフトし始めました」
・水彩画家になったのは?
醍醐「水彩の会に作品を出品し受賞したりするようになりました。それをきっかけにカルチャーで水彩の講師などをしてから、教室を開きました。この時から水彩画家として自立できたといいますか、水彩だけで食べていけるようになりました」
・水彩とは?
醍醐「水彩のイメージは淡いモノと思われていますが、実際には深みのある濃厚な表現もできる絵具です。写真的ではなく、自分のイメージでデフォルメして描くところに喜びがあります。奥の深い技法です」
・これからしたいことは?
醍醐「これまでまだまだ何もできていないです。満足がいくまで人物画を描き続けたいです」
・ありがとうございました。

 

*編集部より*
醍醐芳晴さんのサイトがあります。ご覧ください。
http://home.p01.itscom.net/y-daigo/


「最近、基礎が大切であることを感じています。自分の思い通りの形は基礎があってこそですね」
「赤いセーター」
 
「人形」