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山梨県生まれ。絵本作家。 多摩美術大学立体デザイン科卒。 日本デザインセンターに就職。 永井一正氏の下でデザインの仕事を手掛ける。 95年独立、絵本の本格的創作を開始。。
これまで取材したプロ

机は創造の聖域かな。

ファンタジーはただ空想で描けばいいのではなく、その裏側に自然の裏付けが必要だったりします。絵本の世界では、画面の中が現実です。ファンタジーの表現に欠かせないのがパステル。仁科幸子さんはパステル鉛筆とマーカーで森の動物たちを生き生きと描きます。描く姿が楽しげでワクワクさせられました。仁科さんの部屋の妖精たちに見送られて家路につきました。

・少女時代から。
仁科「父の仕事の関係で、引っ越しが多かったのですが、子供の頃は新潟や会津といった雪深い所で過ごしました。冬、玄関を出ると4mもの雪の壁ができていたりして、とてもファンタジックな気持ちになりました。それが、自分の五感を磨いてくれたものの一つだったと思います」
・雪の日は何をしていた?
仁科「家には多くの美術書や文学全集があり、没頭して読みました。このことが今の自分につながっていますね。あとは8歳の頃から15歳までクラシックバレエを習っていました」
・いつ頃から絵の道を?
仁科「絵の道を意識し始めたのは高一のときです。美大を目指すため研究所に通いました。母は明るい性格で、いつも生活全体を楽しいものにするための心遣いを見せてくれていました。そんな影響もあって私は『美しい世界で人を幸せにする』と宣言したりする子でした」
・大学は?
仁科「美大では絵を描きたかったのですが、絵の道は狭く先生しかなれないと言われ、選んだのがインテリアデザインの勉強でした。空間や立体の勉強はいろんな所に役立っています。体調を崩した時期があり、このときドイツの絵本が好きになりました。物語に興味がいきました。マルシャークの『森は生きている』などは、物語から光景が溢れ出てくるようでした。そこで、いつか自分も人を励ますようになりたいと思うようになっていました」
・就職は?
仁科「立体ではなく、直に心に触れる絵本に近いものとしてグラフィックを選びました。デザインの会社に入り、永井一正先生の下で仕事をしているうちに絵本の話をいただき、自分の夢へと近づいていきました。デザイン会社から独立して絵本作家としての道に入りました」
・使っていた画材は?
仁科「ボールペンで描いて、コピーしてから色付けしたり、オイルパステルからマーカーまで色々なものを使ってきました。マーカーの先を潰して、輪郭を描いて、パステル鉛筆で着彩したりしていたこともあります。基底材は主にPMパッドです。パステルのノリがいいので使っています」
・これからの夢は?
仁科「絵本は多くの人に手渡せます。人の心を励ますような心の核を作るようなことを続けていきたいです。それと、原画展をしたいです」
・ありがとうございました。

 

*編集部より*
仁科幸子さんのブログがあります。ご覧ください。
http://cinniyan.exblog.jp/


「輪郭は色鉛筆でとって、着彩はパステル鉛筆でしています。これまでに描いた絵本は50冊ほどになりました」
「絵本「ポンテとペッキとおおきなプリン」中面」
 
絵本「ポンテとペッキとおおきなプリン」表紙(文溪堂)