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1945年大阪生まれ。 66年浪速短期大学美術科(現:大阪芸術短期大学)卒業。 90年安井賞展安井賞を受賞、 文化庁芸術家在外研修員(スコットランド)。 現在、二紀会委員・女流画家協会委員。  
これまで取材したプロ

絵を描かずに別のことをするのが机。

本当のメルヘン画家は自分がメルヘン画を描いているという実感はないといいます。海と空、そして植物や鳥。いかにもありそうな風景や花が、実は画家の頭の中で生まれてきたものである場合が多いのです。見ていて不思議な世界に誘ってくれる北久美子さんの絵には、優しさが静かに流れています。あなたに北さんの絵の波の音を届けます。

・子供の頃、何をしていましたか?
北「小学校の頃は大阪にいました。中ノ島公園の近くに学校があって、都会の中で過ごしていました。朝登校する時間よりも下校する時間の方がずっと長かったですね。町にはいっぱい魅力的なところがあり、寄り道して帰ってくるのは毎日でした。『あんみつ姫』というマンガが流行っていて、自分がそれを真似て塗り絵を作り、友達と塗り絵を楽しんだりしていました」
・どなたかの絵の影響があった?
北「祖父が俳句を作り、同人誌を発行していました。それで俳画を描いたりする手伝いをしていました。手伝いといっても画仙紙や色紙に落款を捺したりする程度でした。叔母が油絵を描いていましたね。だから書斎には日本画、洋画の画集がいろいろありました。安井會太郎、ピカソなど、子供の頃に画集を通して見ていました。絵の中にいるのが楽しかったですね」
・本格的に絵を始めたのは?
北「別に絵を意識していたわけではなく、高校進学当時は焼き物をやろうと思っていました。両親からとりあえず2年でも進学して勉強したらと言われました。学校へ行って友達を作ることも人生で重要なことだと諭されました。それで短大に入り、油絵を学びました」
・画家としての歩みを。
北「二紀展に出品したりしていましたが、なる気もないのに教師の試験を受けようとしたり、建築もいいなあと、通信教育を受けたり、知り合いの建築事務所に通って図面の引き方を教わったりしていました。23、24歳で横浜に移り、20代後半で紀伊国屋画廊の企画で個展を初めてさせていただきました。それからですね。その頃、40代になったら、絵で食べていけるようになると、決めていました。それよりも早くかったですが」
・メルヘンチックな絵にはいつから?
北「安井賞をいただく前からですね。自分の中の風景を、楽しんで描いていたら今のスタイルになっていました。写真家の秋山章太郎先生に、撮っていただいたとき、写真家は花のそのままを写すだけだが、画家は好きなように色や形を変えられるのがすごい、と言われました」
・これからことを。
北「大学で教えていて、学生から後押しされている気がします。時々日常から離れて、ぶらっとどこかへ行きたいですね」
・ありがとうございました。

 


「ここはどこ、と聞かれることがありますが、現実にはどこにもありません。身の回りのものを描いていますが頭の中の風景です。描き続けているうちに画家になっていたという気がします」

 

「風の誘い…。。」

 

「微風…R」

 

「風花絵図」