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1919年高知県出身。東京高等工芸学校(現千葉大)図案科卒。高知新聞、三越宣伝部を経てフリーに。74年代表作「アンパンマン」シリーズ開始。日本漫画家協会理事長。
これまで取材したプロ

机?机は机です。

 幼稚園に行って絵本の人気を調べると、圧倒的にナンバー1は「アンパンマン」です。多くの絵本の中からなぜ「アンパンマン」が選ばれるのか、そこに確かな理由があります。アンパンマンは自己犠牲型で、しかも身近な存在。そして最大の理由は、作者のやなせたかしさんの視点が子供だからです。お会いしてみてそれが分かりました。ユーモアと優しさ、やなせさんのオーラはまぶし過ぎます。

・どんな子供でしたか?
やなせ「東京の滝川で生まれ、絵は好きでしたが、おとなしかったですね。ところが5才で高知県に転居し、そこは秘境に近く、野山を駆けめぐるターザンのような生活に変わりました。それから高知市に移りましたが、紫外線をいっぱいに浴び、いい空気を吸いながら成長しました。小学校を卒業してから東京に戻り、中学時代を過ごしました。数学が苦手で、成績が一向に上がらないし、自分の得意なものは何かと考えたら、絵だけでした」
・それで絵の道に?
やなせ「絵の仕事に就くことを考えて、東京高等工芸学校(現千葉大学)に進学しました。ここで横山隆一先生の奥さんの弟に出会いました。彼を通じて、横山先生に接し、漫画家はいいなあ、と思うようになりました。簡単な線、簡単な絵、それでいて人の心をとらえるマンガ。卒業して迷わず漫画家になりました。仕事は、徹底して何でも受けました。仕事は早い。しかし、売れませんでした。批評家から『やなせのマンガには何かがない』と言われ、自分にあるのは、叙情的なものや詩であると気が付きました」
・そして「詩とメルヘン」が?
やなせ「サンリオの前身の会社から1973年に詩とイラストをメインにした雑誌を出しました。これが『詩とメルヘン』です。一般の人の投稿を基本にした編集で大変な人気を呼びました」
・そこにアンパンマンが?
やなせ「『詩とメルヘン』に74年から連載した『怪傑アンパンマン』がきっかけです。その後『いちごえほん』に76年から『アンパンマン』を連載しました」
・アンパンマンはどのようにして?
やなせ「自分を犠牲にするヒーローがいてもいいし、子供の敵である飢えから救い出すヒーローがいてもいいと思いました。アンパンマンは食べられて相手を救うキャラクターです」
・画材は?
やなせ「下描きは鉛筆。着彩は透明水彩でしたが、最近はアクリルガッシュです。誰が塗っても同じ発色になりますから。色の指定さえしっかりやればアシスタントが着彩してくれます。輪郭線は製図ペンを使っています」
・これからのことを。
やなせ「世界中の飢えた子供をこれからも救い続けていきたいです」
・ありがとうございました。

 

 

*編集部より*
アンパンマンショップのHPがあります。ご覧ください。
http://www.anpanmanshop.co.jp/

「自然にストーリーが湧いてきます」

 
「アンパンマンとあおいなみだ」
フレーベル館
 
「それいけ! アンパンマン」
フレーベル館